若者のSNS疲れと群れ化していく社会
「若者のSNS疲れ」や「若者のSNS離れ」という単語がたまに見られるようになってきたが、私も最近、SNSから離れて、意識的に独立した自分だけの時間を持つことを心掛けている。
それは何故かと言うと、「自分という個人が無くなっていってしまう」感覚を感じるようになってきたからだ。
おそらく、SNS疲れをしている若者たちは私と同じような感覚になっているのではないかと考える。何故ならこうした現象は、私の中では『自己組織化』という自然の摂理が深く関係しているからだ。
例えばこれが自己組織化です
先日、農村部の地方都市に新たにオープンしたゲストハウスに宿泊した時のことである。
そこでは、東京などの都会から来た人でも一時的なスタッフとして勤務することで、滞在費を削減できる、という短期スタッフのシステムを採用していた。
そのゲストハウスの共有スペースにて、私は横浜の広告店勤務(固有名詞を濁していたことから、おそらく大手広告代理店なのではないかと思われる……)の二十代前半の女の子と話をする機会があった。
彼女は有給を活用して短期滞在しながらスタッフをしているそうで、話の中で食に興味があることや、最近の都内高校生の部活には、事業創発を活動内容とする『イノベーションクラブ』があることなどを教えてもらった。
これらの話も充分興味深かったのだが、しかし中でも特に面白かったのは、
「レコード好きな彼氏とヨーロッパに行ったら、ヨーロッパのレコードショップにいた人たちがみんな同じ格好してたんですよ!」
という話だった。簡単に言えば、これが『自己組織化』である。
主には自然科学や生命科学、生態学の分野などで使われる言葉だが、一般的にはまだまだ馴染んでいない。個人的には、この自己組織化という言葉はもっと広まってもいいと思っている概念だ。
要するに、自己組織化とは『世界はみんな群れたがっている』という現象のことである。いくつか例を挙げるとすれば、このような感じだろうか。
- 宇宙に浮かぶ小さな塵が重力によって集まっていき、自己組織化して地球はこのような惑星になった
- 点在する集落に過ぎなかった村が、徐々に統併合されながら大きくまとまっていくことにより、自己組織化して日本という国になった
- 小さな命令文の集まりがライブラリ化していき、モジュールになり、自己組織化されていくことによってプログラムは動いている
- 小さな個人商店が、拡大していくにつれ事業拡大し、M&Aを行いながら、自己組織化されることによって、巨大な企業が生まれてくる……
これらは全て、『自己組織化』という自然の仕組みによって行われてきたものだ。
趣味は自己組織化を探すことです
これまで私は、自分のブログでこの自己組織化についてしばらく書いていた。
そしてそれを、自然の摂理の中から読み解き、実際の人間社会へと当てはめて解読するのを趣味として楽しむようになってきたのである。
そしてそれは、人間社会自身においても例外ではない。我々人間も、所属するグループや組織がある。最近流行の言葉で言うと、『コミュニティ』だ。これこそが、人間自身も自己組織化しているという証である。
通信技術の発展によって、様々な物理的制約から逃れた我々は、人種や性別、国籍の壁を超えてコミュニケーションをすることが可能になった。
しかしその結果、レコード好きな人々がみな同じような格好になってしまったように、自然とコミュニティ化されるスピードや範囲も、加速度的に早く、広くなってしまった。SNSの登場以降、それは顕著になったと言えるだろう。
アーリーアダプターを自称する私も、いち早くSNSに飛びつき、かつてのブログと同じように投稿を繰り返し、SNS依存症一歩手前まで行っていたと思う。
しかし幸いなのかは分からないが、農業というリアルでの活動が生活に組み込まれていたため、強制的にネットの世界から遠ざかる時間が確保されていた。
もし私が一日中SNSをできる状態にあり、さらに影響を受けやすいもっと若い世代だったとしたら、SNSに蔓延する思想に当てられて、あっという間に個人としての思考が薄まり、SNS上の誰のものだか分からない思想に染まってしまっていたかもしれない……。
情報だけが存在するSNSネットワークでは、そうした可能性が高い。
そのため、毎日SNSで誰かの主張を見ることが日課になっていた頃、(本当にこれは自分自身の感情なんだろうか……?)という違和感が湧いてきた所で、SNSに疲れを感じるようになってしまった。
そして農業から離れるタイミングで、自分の生活を見直し、SNSから少し距離を置くことにしたのである。
日本は自己組織化しやすい国だと思います
レコードショップの例で書いた通り、現代はかつてないほど群れ化、組織化が起こりやすくなった時代だと言える。そのため、同じ趣味の人を見つけることは非常に容易になった一方、気をつけていなければ、すぐに誰かの思想に引っ張られるようになってしまう。
一時期問題となった、フェイクニュースの拡散などもそうだ。冷静に個人としての見解を検証することなく、表面的な感情によって情報が拡散する。これは個が無くなり、感情の群れとなった自己組織化現象によるものではないだろうか。
とりわけ日本という国の国民性は、ムラ社会を形成しやすい風土がある気がする。それが良い組織化であればよいが、悪い方の組織化も起こるため、そのような場合にはなかなか組織の風土を変革する空気にはなりにくいのが実情だろう。
またこのような組織化は、成長と衰退のサイクルを繰り返すという特徴がある。近年の日本の経済を考えてみれば分かる通り、成長の限界に辿り着くと、そこからは衰退のサイクルが始まる。
枯れる寸前の植物を見ているかのように、衰退していくサイクルに入った組織というのは辛い。組織が衰退サイクルに入ると、エネルギーの循環が弱まり、末端の細胞が徐々に弱っていく。限られたエネルギーの奪い合いが始まり、あちこちで争いが生まれる……など、どれも同じような構造になっていくのが分かる。
組織の衰退サイクルを変化させるためには
日本社会をこのような観点で見てみると、一時は世界を席巻していた大企業や、地方自治体などで同様の現象が見られる。こうした衰退サイクルに入ってしまった状態の組織を変えることは、非常に難しい。または、組織構造を変えられないから衰退していく、と言う方が正しいのかもしれない。
……実際に私も農村部において、劣化した組織化がもたらす弊害に何度も心をくじかれたものだ。
こうした衰退サイクルにハマった組織を改善するには、これまでとは違う、新たな自己組織化サイクルを生む必要がある。
ナスの更新剪定をしながらそんなことを考えていた所、非常に役立つ本を発見した。
それがこちらの書籍である。
【V字回復の経営/三枝匡】
ボストン・コンサルティング・グループの国内採用第1号のコンサルタントを務め、「事業再生専門家」として、多くの不振企業の再建支援を行ってきた三枝匡氏の本である。
この本では、完全に衰退サイクルに入って赤字を出すようになってしまった、要するに『ダメになった事業』の構造を明らかにし、そこから脱出し、それを立て直すまでにどのようなプロセスを経て、どう行動していくべきか?……というようなノウハウが具体的に紹介されている。
例えば、改革の各状況において、実際にどのような症状が現れるかということ、
症状1/一般に企業の業績悪化と社内の危機感は相関しない。むしろ逆相関の関係だと言った方がいい。つまり、業績の悪い会社ほどたるんだ雰囲気であることが多く、業績のよい成長企業のほうがピリピリしている。
症状14/やたらと出席者の多い大会議。ダメ会社症候群の典型。出席者を減らすと「自分は聞いていない」「関係ない」と拗ねる者が出てくる。リーダーシップの弱い組織の特徴だ。
そして、一番有用だと感じたのが、こちらの改革推進における各人のポジション別分類である。
改革の推進・抵抗パターン
A:改革先導者(イノベーター)
- A1過激改革型
- A2実力推進型
- A3積極行動型
- A4積極思索型
B:改革追従者(フォロワー)
- B1心情賛成型
- B2中立型
- B3心情抵抗型
C:改革抵抗社(アンチ)
- C1確信抵抗型
- C2過激抵抗型
D:人事更迭者(淡々型、抵抗型)
E:傍観者(外野席)(上位関係型、完全外野型)
どうだろうか?最近の日本でよく聞く話ではないだろうか?
……これを読むと、最近の日本で起きている現象があっという間に理解できるし、その通りだと納得することもできる。特に、改革を行いたいが苦労している改革推進者の人たちに大変オススメな本である。
なにより、こうした衰退している組織の原因は、『各社員たちの気分によるものが大きい』と、メンタルな部分を指摘しているのが興味深かった。そのため、組織の構成員が危機感を持って取り組むことにより、変革は可能になると。
さらには、米国式の合理主義ではなく、きちんと日本型のムラ社会を基準とした対策が紹介されている所も面白い内容だ。
こうした事業で活用できる具体的なノウハウが、実際の症例を参考にしたストーリー形式で語られていくので非常に腑に落ちやすい内容である。
そのため、ビジネス向け書籍でありながらも、ぐいぐい引き込まれてあっという間に読み進めてしまったほどだ。
蜜に群がる虫の群れになっていませんか?
SNSを初め、ネット上では誰かの感情に流されやすくなってしまう新時代。我々は、自分の思考を自分でうまくコントロールできなければ、あっという間にどこかの群れに組織化されてしまう。
孤独が苦手で、常に誰かと一緒にいたり、群れに所属していなければ不安定な人であればそれでいいのかもしれない。しかしその場合、どうしても個性は薄れてしまう。
多数の人間が納得できる回答は、誰にとっても妥協しなければならない、最大公約数的な無難な意見になってしまうことは、上記の書籍の中でも紹介されていた。
そうした情報ネットワークの環境から比較的簡単に逃れられるのが、農村のいいところだ。なので、私は農村で暮らしてみることをオススメしている。
しかし、そのような氾濫する情報の渦から逃れられない環境にいる人々は、自分の意思や感情に反して、自分の心がどこかの群れに組織化されてしまうことに注意した方がいいだろう。
お腹が空いている虫は、甘い蜜に引き寄せられて綺麗な花に集まってしまう。
……おそらくそれが自然の摂理なのだから。