群れはリーダーを操作する

組織化の中心には、その群れのコアとなる引力を持った何かが存在している必要があります。 

例えばそれは惑星のような無機物であれば、最終的に鉄になるでしょうし、人間たちで形成されるものであれば、思想や思想を持つ人になるでしょう。このような人々を、人はリーダーと呼びます。
 
一見、これらの群れはリーダーが動かしているように見え、憧れる人も数多くいますが、群れのリーダーは群れを象徴するような振る舞いをしなければ、組織化が解けていってしまうため、実はそれほど自由とも言えません。
例えば日本の首相が海外が好きだからと、しょっちゅう海外を渡り歩いていては、国民の支持を得られないでしょう。
 
このように、群れの構成員と群れのリーダーは、お互いの相互作用によって成り立っているだけであり、リーダーだからといって好き勝手にできるわけではありません。
むしろ、ただの構成員よりもよほど自由が効かなくなると言えるかも知れません。
 
昨年、ぼくのりりっくのぼうよみというアーティストが引退を発表しました。
 
そのメッセージの中で、自分がファンの望む姿になることに違和感を覚えたからだと言うようなニュアンスがありましたが、まさにこれが群れのリーダーの不自由さを表しており、そこからいち早く自由になったという所が、さすが自分の感性に敏感なアーティストだなと感じさせられました。

 

生来の性格で、リーダーに向いている人もいますが、そうでない場合にたまたま群れのリーダーになり、このような仕組みに気付かないままそのポジションに収まっている人は、いずれリーダーであることが辛くなって来るかも知れないので注意しましょう。