1章続き 群れは痛みを我慢する

生き物が自己組織化されて群れとなった場合、個人とは変わってくる部分があります。

個の挙動と群体としての挙動は、一体何が違うのでしょうか?
 
(参考文献)
 
筆者によると、群れは痛みを我慢する性質を持つようになると結論付けています。
どういうことかというと、個であった場合、避けて通るようなリスクを、群れになると無視して行動するようになるというのです。
 
確かに、赤信号みんなで渡れば怖くない、というような言葉もありますし、人は集団になると普段より気が大きくなることは、渋谷のハロウィンイベントを見ていてもよく分かります。
 
その結果、例えば逮捕されてしまう、など群れのうちの誰かが痛みを伴うようになるとしても、群れに組織化された個体は、そうしたリスクやストレスなどを我慢するようになるということです。
 
これが個から群れになった時の特徴だと言えます。
同様に、あるグループが組織化されると、自然とその中でメンバーの役割が分担されるようにもなっていきます。
リーダーとなるべき存在、群れをうまくマネジメントするようになる存在、雰囲気を和ませる存在など、これらの役割が自然発生的に生まれてくるのが面白い所です。
 
これは言うなれば、人体の役割分担と同じような構造だという事もできます。
例えば、手足が実際に動いて行動した結果のフィードバックを脳が受け取り、判断する。
外部からの栄養を吸収する部分もあれば、必要ないものを捨てる機能もあるなど、人の体を群れとして捉えれば、他の群れと共通する部分がたくさんあるように思います。
 
最近の研究では、なんと人の意識は脳で判断しているというものではなく、ただ起こっていることを観測しているに過ぎない、という結果もあります。
とすると、群れというのは実際には、パーツの各部分が自律的に判断を行いながら、全体のために活動を行うような、中央集権的ではない自律分散型のシステムなのかも知れません。
 
確かにこれは、自然の仕組みと同じなので、納得できる気がします。

自然という群れは、誰にコントロールされるわけでもなく、勝手にそれぞれが活動しながら全体を最適化していくシステムでできています。