べき乗則周期に合わせて変化する国家

この、発生からべき乗バブルを経て、やがて衰えていく周期には、面白い国家の移り変わりとの相関性があることに気づきます。

まず発生直後の幼少期には、国家は、より小さな民族が組織化されてできた集合体に過ぎません。混沌としています。

これは宇宙の誕生と同じく、対称性を持った状態だと言えます。しかし、統一者が生まれたことにより、そこに秩序を作る必要が出てきます。

すると、混沌とした状態から、何らかの方針を持って国を運用することになりますが、初期は社会主義帝国主義的な動きが生まれることになります。

これは混沌とした状態をまとめるために、ある種の権力が必要になるからであり、この方針によって混沌とした群れの中に秩序が作られるようになります。

 

しかしその後、この方法には限界が来ます。

自由競争が生まれない社会では、人工的な伸び率しか発生しないため、発生するべき乗にも限界があるからです。これは、スモールワールドの項目で説明した、完全な秩序の状態になります。

ここからさらに経済を発展させて行こうと思ったり、やがて国民の自由意志が秩序で抑え込むことに限界になったり、統率者階級に腐敗が起こるようになって来ると、社会はより自由を求めるようになってきます。資本主義の始まりです。

資本主義は、かなり自然の状態と似ている仕組みだと言えます。誰もが自由経済の原則に則って、最適な経済活動を行うことができます。その結果、時代の流れを掴んだ事業は、限界が来るまで成長します。

鉄道、石油、自動車、スマホ、これらの企業は、インフラと共にべき乗則で拡大して行きました。バブルの到来です。

 

バブルが起こると、ほとんどの人は浮かれます。それまでの貧しい暮らしから一気に豊かになり、価値観も変化していきます。

その結果、組織や群れのことよりも、個人の権利の方が大事である、という価値観が生まれてきます。(エネルギーが過剰になるため、より多くの組織化が可能となる土壌が生まれるので)

 

しかし、資本主義である自然とは、社会主義とは違い、全く平等ではなく、淘汰と適者生存のシステムです。必ず勝つ強者と負ける弱者が生まれてきます。

個人の力が強くなり、バブルのせいで一時的に国家という群れが豊かになると、弱者たちは平等を求めるようになります。

貧富の差が生まれるのは自分たちのせいではないので、国家が富を再配分しろ、と。

もちろん、自然の仕組みでそうなっているので、確かに本人たちのせいではありません。

 

また、べき乗則によって生まれたバブルにも、いずれ限界が来ます。シェアの全てを掴んでしまうと、そこで成長は止まるからです。

そこから先は説明するまでもなく、既に何度も起こったことですね。

人々の幻想によって膨らんだ夢は、慣性の法則のように進行し、やがて失速します。実態とかけ離れた経済が、帳尻を合わせるかのように衰退していき、バブルと資本主義が終わるのです。

 

特に最近の日本は、資本主義の末期と言えるような状態なのではないでしょうか?
個人の主張が強くなり過ぎて、また自由度も高いことから、混沌とした状態でどこへも進めません。

かといって伸びるべきマーケットも見つからず、自由は欲しいが負けるのは嫌だ、というがんじがらめな状況に陥っているような気がします。

 

このような状況をうまくまとめて改善するには、最初のように強い統率者がいる社会主義的な方針が必要になってくるのでしょう。お隣の国のように……。

こうして、経済活動の周期と共に、国家の運営方針は変わっていくのではないでしょうか。これはその時その時代背景によって効果や価値観が変わって来るため、決してどの主義の方が優れていて、どの主義が間違っているとは言えないのではないかと思います。

社会の流れに合わせて、うまく方針を切り替えられるのが最適な解答なのではないでしょうか?

変化できるようなバッファを持っておくことが重要なんでしょうね。