ボラギノールが教えてくれた年功序列制度の始まり

 

これまで私は、どちらかと言うと意識が高い側として、様々な活動を行ったり、発信する側の人間だった。書くことが嫌いではなかったこともあり、テキストサイト時代から文章を書き、そこからブログへと流れ、当たり前に自己啓発のように発信を続けてきた。……しかし最近、それがやや変化してきている。

 

そして、最近考える私のテーマは『老い』になってきたのだ。

 

複雑系と自己組織化

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最近私は、複雑系や自己組織化といったことを学ぶにつれて、生物無生物に関わらず、成長サイクルや衰退、発生や消滅といったことに興味が出てきた。

と同時に、身近な出来事においても、これらの現象と同じパターンが現れていないか?ということが気になってきている。

 

面白いのは、一見自然の摂理のみに適用されそうなこれらの概念が、経済学からも生まれてきていたこと、さらにはそれだけに留まらず、この世のあらゆるものに通じる概念である、ということが分かってきたことだ。

 

私は科学信仰とは、自然信仰であり、一種のアニミズムだと思っている。

 

そんな中で、果たして動物として、個体としての『ヒト』はいつまで成長し続けられるのだろうか?

植物が自己を生育させる栄養生長から、子孫を残す生殖生長へと変わった時のように、ヒトが成長サイクルから衰退のサイクルへと変わる、『老い始める』時は一体いつなのだろうか……?

 

自らの境遇と照らし合わせて、そんなことを考えるようになってきたのも、こんな出来事からなのである。

老いを感じる時

頑張り過ぎてうつ病にかかる、30代、40代の「リア充」たちの話。

https://blog.tinect.jp/?p=59187

先日、このような記事を拝見したが、40歳を目前にした私にも、その気持ちは非常によく分かる。

皆さんはどんな時に老いを感じるだろうか?

 

近年のネットなどのニュースやSNSを見ていると、しきりにあの手この手で転職を勧められるが、実際に40歳を目前にして転職をしてみた自分が実感したことは、『若者には敵わない』という現実だった。

 

ある仕事を長年勤めていると、次第に業務には慣れていくし、それなりに知識も付く。その感覚で30歳を過ぎていくと、流石に仕事もできるようになり、どことなく自尊心も育ってくる。新たに若手が入ってきたとしても、明らかに自分よりも経験も知識も少ない新人に対して、「なんでもっと効率的にできないんだ!」とか、「これぐらい知っていて当たり前だろ!」といった感情になるのも理解できる。

 

そうした中で、気持ちだけは20代の感覚のままで仕事を続けていくと、ある時ふいに『体が衰えていること』に気付く。

 

最初は体の疲れが取れないことが多いだろう。そのうち、スポーツなどで体が動かないこと、動かしても筋肉痛がすぐに来ないこと、白髪が増えること……といった部分で現れてくる。

 

20代からいつの間にか30代になり、体の変化に気付かずに気持ちだけはずっと若者のままだった私が、ある時『老い』を感じた決定的タイミングがあった。

 

それは『いぼ痔になったこと』だった。

 

いぼ痔に打ちのめされるセルフイメージ

皆さんはいぼ痔になったことはあるだろうか。おそらく、なったことがない人は「まさか自分がいぼ痔になどなるわけがない」と思っているに違いない。……分かる。非常に分かる。

かくいう私も、そういった人間の一人だった。

 

しかし30代も半ばを過ぎ、アラフォーが射程圏内に入ってきたある時、しばらくあった尻の違和感が、ついに『いぼ痔』だと気付いてしまった時の絶望感といったら無い。

 

……まさか自分がいぼ痔になるとは。

……この世にそんなものが存在するとは。

……いぼ痔になるのなんて爺さんだけじゃないのか。

 

あんなもの、都市伝説じゃなかったのか……!

 

最早この世の全てが信じられなくなった感覚で、私はこの世の全てを呪った。あっという間に崩れていく、自分自身の美的イメージ。

上腕二頭筋を盛り上げながらこちらを振り向きつつニコッと白い歯で笑う色黒な健康青年などでは全くないが、それでもある種の自分のセルフイメージというものは存在していた。

 

しかしそれが今や、音を立ててガラガラと崩れてしまったのだ。……私はそれほどまでに、いぼ痔になった自分を信じられないでいた。

 

そしてそう思った私の手は、いつの間にかボラギノールに伸びる。屈辱だった。こんなに恥ずかしい思いをするぐらいなら、若い女性店員さんの前でコンドームを買う方がマシだとも思った。しかし、私に残されていた唯一の救いはボラギノールにしか無かったのだ……。

 

そして、藁にもすがる思いで手を伸ばしたボラギノールでも完治せず、とうとう(このいぼ痔とこれからずっと付き合っていくのか……)と心を決めた時、私はもう精神的に完全に『若者』では無くなってしまった。

 

アラフォーが転職するということ

冒頭に書いたとおり、ネットニュースに乗せられたわけではないが、40歳を目前にして転機があり、私は移住して転職した。今、多少話題になっている『リモートワーク』という奴だ。

 

転職先の仕事は、国や自治体に出す書類や法律関係を扱うこともあり、非常に細かく、複雑な部分が多い。そしてそれでいて対人サービスの部分もあるため、一貫したマニュアル化がしづらく、応用を利かせる必要が出て来る。

 

……簡単に言うと、『複雑で、覚えることが非常に多い』仕事だった。

 

これまでは自営業で自分の裁量のみで数年間やってきた自分にとって、再び一から全て新たな分野の情報を詰め込まれ、即戦力として現場に出るためには、結構な努力が必要だった。アラフォー男が転職をするということは、そういうことだ。周囲からは当然のようにそれを求められる。

 

これまでの自分の経験やノウハウを培ってなんとか努力してみたものの、何度も脳裏によぎるのは若い頃の自分の姿だった。

 

(昔だったら、もっと効率良く仕事を覚えられていたのに……!)

 

そんな悔しさが込み上げるが、もうどうしようもない。

 

20代の頃のように、コーヒーを飲んでアドレナリン全開で徹夜をすることもできないし、体力を付けようと焼肉を食べても、脂っこいものは消化できなくなってきてしまった。

 

そんな体力の衰えを感じながら、ただ地道にコツコツと情報を分かりやすく分類、整理し、平準化してまとめていくことぐらいが、もうおっさんになってしまった自分のできる唯一のことなのだ。

経験することで価値観は変わっていく

20代の頃、年上の人たちが「自分はもう若くないから」「年を取った」と口癖のように言うのを聞く度に、どこかそれを諦めから来るセリフのように聞いていた自分の姿があった。

 

当時の自分はそういう気持ちをブログに吐き出し、「何を生ぬるいことを言っているんだ」「もっと頑張るべきだ」と主張していた。おそらく、これを読んでいる20代の若者のほとんどが同じように思うことだろう。しかし、やはり自分がその立場になってみると分かることというのは数多くある。

 

海外に行って仕事をしてみること。

農村に移住してみること。

マイノリティになること。

 

これらのことを経験する度、ブログだけでは分からない実体験が、自分の価値観を大きく変えていくように思う。そして今回、『老い』を経験することによって、また新たな価値観が理解できるようになった。

老いが作った日本の制度

幸い、新しい会社での上司は自分より若かったが非常によくできる人物だったので、ストレスを感じるような叱責やプレッシャーなどが無かったのが唯一の救いだった。そのため私は、自分の業務に専念することができた。

 

と同時に、こんなに複雑な業務のことを、自分よりもテキパキと回していく若い上司の姿が、少し羨ましくも思える。もう自分には、あんなに高速で頭を回転させることはできないのだろうか……?

 

今更何をしても、エネルギッシュな若者の力には敵わない。物覚えも悪くなるし、体力も衰えてきている。新たに語学力を鍛えることも難しくなるし、先端テクノロジーを使いこなしたり、理解できない価値観に対する興味も薄れつつある。

 

果たしてこの先、社会にこんないぼ痔のおっさんの居場所はあるのだろうか……?

そんな風に絶望しかけた時、私の頭に閃いた直感があった。

 

……そうか、そうだったのか。

 

この時ついに、私はずっと理解できなかったことが分かったのだ。

 

あんなにこれまでの若い自分がブログを通してずっと否定してきたこと。これが日本をダメにしたのだと何度も声高に主張してきた制度。

 

……そう、『年功序列制度』というものは、こうしてできたのだなと腑に落ちたのだった。

 

あの頃に比べて、ブログを書く気力も衰えてきてしまった。……いやそれよりも、自分の価値観が広がるにつれて、どんどん主張したいことが薄れていってしまうようにも思う。

 

まだとりあえず年功序列制度には賛成できないが、それを進めた人たちの気持ちは分かるようになってしまった。

 

今日も私はボラギノールを後目にしながら、必死で新たな仕事へと取り組んでいる。